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◇こだまでしょうか

 

「遊ぼう」っていうと

「遊ぼう」っていう。

 

「馬鹿」っていうと

「馬鹿」っていう。

 

「もう遊ばない」っていうと

「遊ばない」っていう。

 

そうして、あとで

さみしくなって、

 

「ごめんね」っていうと

「ごめんね」っていう。

 

こだまでしょうか、

いいえ、誰でも。

 

これも最近、よく耳にする“ACジャパン”さんのコマーシャルですが、これは、金子みすゞさんの“こだまでしょうか”という詩だそうです。

 

こだまでしょうか

 

 

金子みすゞさん。本名は金子テルさんといい、明治36年(1903)4月11日に山口県大津郡仙崎村(現:長門市仙崎)で生まれました。成績は優秀で、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 

そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。

 

『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞさんは、『童話』の選者であった西條八十(さいじょうやそ)に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。

 

ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。

23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続きました。

 

そして、ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自ら命を絶ち、26歳という若さでこの世を去ってしまいました。

 

金子みすゞさんの詩は長らく忘れられていましたが、岩波文庫『日本童謡集』の「大漁」を読んだ児童文学者の矢崎節夫(やざきせつお)らの努力で遺稿集が発掘され、1984年に出版されるや、瞬く間に有名になりました。

 

現在では、代表作「私と小鳥と鈴と」が小学校の国語教科書に採用されています。また、東京大学の国語の入試問題に採用された作品もあります。

 

このことをきっかけに地元長門でも金子みすゞさんの再評価が行われることとなり、生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に金子みすゞ記念館が開館され、金子みすゞさんが少女期を過ごした家を復元すると共に、直筆の詩作のメモなどが展示されているそうです。

 

更には、下関市の新下関駅から、美しい日本海や山陰の山々を眺めながら、金子みすゞさんのふるさとである仙崎駅までの区間を走る山陰観光列車「みすゞ潮彩」まで登場しました。

 

 

私と小鳥と鈴と

 

私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥は私のやうに、

地面(じべた)を速くは走れない。

 

私がからだをゆすっても、

きれいな音はでないけど、

あの鳴る鈴は私のやうに、

たくさんな唄は知らないよ。

 

鈴と、小鳥と、それから私、

みんなちがって、みんないい。

 

金子みすゞ
 
 
 

金子みすゞさん 金子みすゞ記念館
 
 
 
こだまでしょうか60秒CM   さきちゃん
(泉 光二)
 
 
 

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