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暮れゆく2011年

今年もあと4日を残すばかり。一年の締めくくりの時期を迎え今年一年間を振り返ってみたいと思いますが、脳裏に浮かぶのは、やはり3月11日に突如として日本列島を襲った東日本大震災のことですね。その時のことを思い出しながら、自分自身を振り返りたいと思います。

3月11日午後2時46分に宮城県沖を震源として発生した東北地方太平洋沖地震。

マグニチュード9.0という史上最大規模の地震は宮城県で震度7をも記録し、また、地震により発生した大津波が太平洋沿岸に襲いかかり、壊滅的な被害をもたらしました。

その日私は会社からお休みを頂いて息子の大学入学の手続きに行ってましたので、3月11日が金曜日だったことをシッカリと記憶しています。入学手続きは朝からお昼頃までかかり、妻と息子三人でチョット遅めの昼食を済ませ、自宅に帰ったのが午後2時過ぎだったと思います。

家に帰り一息ついて「コーヒーでも飲もうか」と準備していたその時でした。携帯電話から突然聞いたことの無い警告音が鳴り響き、「何だ?携帯故障しちゃったかな?」と妻と二人顔を見合わせた数十秒後、家全体がグラグラと揺れ初め、「アッ!地震だ」と気づき、とりあえずお湯を沸かしていたガスは消したものの、大きな揺れは何ともしがたく、ただただ揺れに体を任せて唖然としているだけでした。これまでに経験した揺れとは違い、揺れている時間が妙に長く感じられたことを覚えています。ただ、家の中にいた感じでは「この揺れで家が倒壊することはないだろう!?」という感覚だけはあったように思います。

揺れ始めてからたぶん2~3分が経過して、揺れが次第に収まってきた頃合いを見て外に出てみたら、近所の人達も外に出て揺れが収まるのを待っているようでした。「怖かったねぇ、こんなに大きい地震が来るなんて…」と口にし、恐怖に身をこわばらせている様子がよく分かるようでした。

揺れが収まってから家に入ってみると、幸いなことに何も被害は無く、とりあえずホッとしましたが、「会社はどうなってるだろう?」と思い、車で会社へと向かいました。会社に着くとみんな建物の外に避難しているものの、工場内には大きな被害は無かったことが確認され一安心。この時、会社の事務所の中の照明が全部消えていることに気付き、地震発生とほぼ同時に周辺一帯が停電になっていたということに初めて気付きました。

停電ですからテレビも映らないし、電話も携帯電話も使えない状態で、情報を入手する手段が全くない。これには参りましたが、車で来たことを思い出し、カーナビのテレビで放送されている地震情報を見ることが出来たんです。秋田県大仙市の震度は5強を記録したと報じられており、震源に近い宮城・岩手では震度7、6強も観測されているいうことを知りました。仙台近郊のお取引先は大丈夫だろうか?と思っても、電話も通じず連絡のしようがない。その後1時間以上待っても電源が回復するような兆しはなく、その場に止まっても何もしようが無いし、社員の人達もご家族のことが心配だろうということで4時過ぎには会社を閉め、帰宅してもらうことにしました。

その頃には三陸沿岸を中心に津波警報が発令されているということは報じられていましたが、実際に数十メートルもの高さの大津波が三陸地区を襲っているなど、想像だにできませんでした。

家に帰ると高校に通っている息子が帰宅しておらず、連絡もつかないことから今度は息子を迎えるために車を走らせました。国道でさえも停電により信号機が消えていて、一部渋滞を招いたりしていましたが、みんな地震の恐怖を味わった後だったからか、お互いに譲り合うという行動が見られ、大きな混乱はありませんでした。

いつもなら15分程度で高校まで行けるのですが、さすがにこの日は30分程度を要したものの、何とか高校の前までたどり着くと、先生方が校舎前に並んだ車の列の1台1台に「何ルームのどなたですか?」と聞いて回って下さっていて、迎えが来た生徒を優先的に帰して下さるという方法を採っていて下さいました。お陰様で数分後には息子が車に来てくれて、無事を確認でき家に帰ることができたんです。

電気も無し、携帯も不通、電車もストップという最悪の状態でありながら、常日頃から非常時の対応を考えて下さっていた学校側には感謝の念に耐えません。

そうして何とか家に帰ることはできたものの、相変わらず電気は回復しない。(結局停電が復旧したのは翌日3月12日の午後6時半過ぎでした。)真っ暗な家の中で懐中電灯の明かりを頼りに時間を過ごしたのですが、ウチの炊飯器はガスなのでご飯は炊けるし、ストーブも反射型が1台と対流型が1台ありましたので、飢えと寒さはとりあえず凌げるという状態だったんです。また、ニュースは車で見ることができたんですが、夜にもなると三陸沿岸を襲った大津波の生々しい映像が流れるようになり、「日本は大丈夫なんだろうか?」という不安に駆られたことを覚えています。

土曜・日曜は会社も休業ですので、週明けの月曜日に会社に出社し、各お取り引き先様の被害状況などをまとめてみると、東北自動車道を初め多くの幹線道路がダメージを受けたため物流が完全に停止してしまったこともあり、更に原料を供給して頂いている納入業者さんの倉庫や工場も被災していることから、その時点で抱えていた原料の在庫以外は、いつ入荷できるか分からないという状態がしばらく続きました。

また、原料ばかりではなく小売業が受けたダメージも大きく、商品の注文もやはり極端に少なくなっていったことから、不安はますます募るばかりでした。(実際に3月12日以降の売り上げは前年の半分まで落ち込んだんです。)

この頃から、当社の通信販売をご利用頂いているお客様から、「地震は大丈夫だった?被害はなかったの?皆さんご無事ですか?」というお電話やメール、お手紙を多数頂戴しました。お陰様で大きな被害もなく、商品の出荷も支障を来してないということをお伝えすると、「じゃあ良かったわ、心配してたのよ」という温かいお言葉をたくさん頂戴しました。

東日本の多くの地区に甚大な被害をもたらし、後に東日本大震災と名付けられましたが、現在は復興に向かって少しずつ歩みを進めているようです。

かの中曽根元内閣総理大臣も「過去の経験と実績からして日本国民は十分にこの国難を乗り切れるだけの抵抗力を有している。歴史と伝統がそれを証明しているし、それを受け継いできているのだから、いささかの心配も要らない」とおっしゃっています。

日本を襲った未曾有の災害ではありますが、島国に暮らす我々日本人が諦めずに努力し続けることで、必ずや復興が成し遂げられると信じています。被災地への祈りを忘れず、共に前へ進めるように頑張りましょう。

最後になりましたが、年内に頂戴した数多くのご厚誼に感謝申し上げます。ありがとうございました。(山本智巳)
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東北醤油株式会社から口福情報をお伝えします。

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